募集要項
安蒜 春明
滋賀おすすめ カジノアグリ
製造グループ長
1991年おすすめ カジノ
工業化学科卒
環境の変化にも果敢に挑戦し
楽しみながら経験を積む
環境の変化にも果敢に挑戦し
楽しみながら経験を積む
キャリアパス
※組織名称は在籍当時のものを記載しています。
1991年 | おすすめ カジノ |
同年 | 網干おすすめ カジノ 第二製造部 シート・プレス課 配属 |
2006年 | 網干おすすめ カジノ 製造グループ⻑席 |
2013年 | 安富おすすめ カジノ おすすめ カジノ担当役員付 |
2014年 | 網干おすすめ カジノ 製造グループ長 |
同年 | タキロンテック株式会社 出向 |
2019年~現在 | 滋賀おすすめ カジノ アグリ製造グループ長 |
Episode
Episode:011年目〜7年目
おすすめ カジノ直後、大先輩から
今後の基礎となる多くのことを教わる
おすすめ カジノ直後、大先輩から今後の
基礎となる多くのことを教わる
1991年におすすめ カジノして配属されたシート班は総員50名強の部署でした。20代が4名、30~40代前半はおらず、主力は50代で、この年齢分布は網干工場の他の製造部門でも同様の傾向。おすすめ カジノ当時は先輩方との年齢差が大きすぎて価値観や考え方、文化、話題など何もかもが違い、驚くことばかりでした。
その様な状況下で、親よりも年上の先輩方から多くのことを教えていただく日々を過ごしました。担当できる業務が増えることに達成感を感じつつ、やがて来る世代交代の教育に備えました。当時の網干工場は私のおすすめ カジノ前後の三年間で毎年20名ほどを採用しており、若い世代が急速に増えて活気があったことを覚えています。
Episode:028年目~
若くして任された統制の大役
仲間の力を借りて
体制改革まで実現する
若くして任された統制の大役 仲間の
力を借りて体制改革まで実現する
おすすめ カジノ後しばらくすると50代から20代への急激な世代交代が始まり、おすすめ カジノ8年目の1998年には副班長に任命されました。交代勤務の一勤務を任される大役で、一勤務7名の構成。先述の通り全員が親よりも年上であり、若造が職制として指示命令するものですから反発を買うこともあり、夜眠れないこともしばしば、大変悩んだ時期でもありました。転機は2年後、息子が産まれ、上司が替わったときでした。これまでの悩みが嘘のように小さく思え、何もかもが一変したように感じました。その後、他工場への業務応援を経て戻ってくると、工程を任される班長に任命されることに。先述の上司や多くの仲間と共に、プレスプレート部門の構造改革を実現しました。これまでの熟練工の技術に頼らない、市場の変化に追従する体制への改革です。反発も大きく困難なことも多くありましたが、協力してくれる人たちの存在のおかげで全く怖くはありませんでした。
Episode:03管理職登用~現在
一からの会社設立に当たって
ありとあらゆる業務を担当
一からの会社設立に当たって
ありとあらゆる業務を担当
2013年に管理職に登用され、おすすめ カジノ担当役員付としておすすめ カジノ集約や生産会社設立の構想に1年間携わりました。その後、網干おすすめ カジノの製造グループ長として生産会社の設立の準備を担当。2014年10月のタキロンテック㈱発足と同時に出向し、設立時の混乱期から、会社として体裁が整い、中期を見据えた大型投資ができるようになるまでの5年間を経験させていただきました。会社設立の社内決議を得るまでのプロセスも大変でしたが、設立後の混乱はそれ以上に大変で、制度から規約から、給与から税金から、売上から決算まで、ありとあらゆる方面の業務をこなしました。一つのおすすめ カジノから一つの会社に変わったのでそれだけの変化があるのは当然と言えば当然ですが、なかなか経験できるものではないため、貴重な機会だったと思っています。その間、総務部長に生産管理グループ長と環境品質保証部長も兼任させていただいたので、当時の名刺は長い役職が連なったなかなかハッタリが効いたものでした(笑)
若手おすすめ カジノに求めること
積極的に挑戦し、先輩に頼り
仕事を楽しんで
まず、積極的に挑戦をしてください。挑戦と言っても小さなことから大きなことまでありますので、無理のない範囲で取り組もうとする意志を持ってください。
次に、上司や先輩を頼ってください。学校では教わらないこと、わからないことは山ほどあるはずです。それらを上司や先輩に頼って解決してください。
最後に、楽しんでください。この会社は良い会社です。辛いことも悲しいことも腹立つこともあるかと思いますが、それでも職場は楽しいものだと思います。その環境を生かしきってください。
Private
一番楽しいのは、息子のバスケットボールの試合観戦です。中学から始めたバスケですが、一度観戦したところ完全にはまってしまい、公式戦のみならず練習試合までほぼ全て観戦しました。息子は大学生になり、社会人クラブでバスケを続けていますが、今でも都合が合えば試合観戦しています。
また、滋賀に単身赴任していますが、毎週欠かさず網干に帰っています。